【日本茶の歴史】中世に花開いた茶の文化:闘茶から「侘び茶」の完成まで
2026/02/27
皆さんは、日本のお茶がどのようにして今の「茶の湯」の形になったかご存知でしょうか? 鎌倉時代末期から室町時代にかけて、お茶は単なる飲み物から、公家や武家社会、そして庶民へと広がり、日本独自の文化として劇的な進化を遂げました。
今回は、教科書や資料から紐解く「中世のお茶」の変遷についてご紹介します。
1. 社交の場として流行した「会所の茶」
鎌倉時代末期、お茶を飲む習慣は寺院から貴族や武士層へと広がりました。そこで流行したのが**「会所の茶(かいしょのちゃ)」**です。
「会所」とは今でいうサロンのような場所。当時流行していた中国伝来の絵画や香炉(唐物)を飾り、豪華な道具でお茶を点てるのが習わしでした。和歌を詠んだり連歌を楽しんだりと、非常に華やかな社交の場だったのです。
2. 熱狂のあまり禁止令も?「闘茶」の流行
会所の茶がさらに遊びの要素を強めたものが**「闘茶(とうちゃ)」**です。 これは、お茶を飲んでその産地を当てる、いわば「利き茶」の遊び。
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本茶(ほんちゃ): 明恵上人が育てた京都・栂尾(とがのお)産の茶
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非茶(ひちゃ): それ以外の産地の茶
当初はこの2つを識別することから始まりましたが、南北朝の動乱期には酒や食事が持ち込まれ、賭け事が行われるほどエスカレートしました。あまりの狂乱ぶりに、室町幕府の初代将軍・足利尊氏が「建武式目」で禁止令を出したほどです。
3. 庶民の間で広まった「一服一銭の茶」
お茶が広まったのは上流階級だけではありません。15世紀初頭、京都の東寺の門前などで、僧侶がお茶を売る商売を始めました。 これが**「一服一銭(いっぷくいっせん)」**です。
一銭を払えば誰でもお茶を一杯飲むことができ、これが日本の「喫茶店」の始まりとも言われています。参詣者が一息つく姿は、当時の絵画にも多く描かれています。
4. 精神性を追求した「侘び茶」の誕生
華やかな「会所の茶」や「闘茶」に対し、より精神的な深みを求めたのが**「侘び茶」**です。
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村田珠光(むらたじゅこう): 室町幕府8代将軍・足利義政の時代、茶と禅の精神を統一し、内面の静けさを重んじる「侘び茶」の始祖となりました。彼は「四畳半の茶の湯」を完成させました。
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武野紹鴎(たけのじょうおう): 堺の豪商だった紹鴎は、珠光の精神を引き継ぎ、唐物中心だった茶室を日本人の美意識に合わせた形に整え、茶の湯の原型をほぼ完成させました。
この流れが、のちの千利休へと引き継がれ、現代に続く茶道の形へと繋がっていくのです。
まとめ
中世のお茶は、華やかな社交や遊びとしての側面と、内面を見つめる精神的な側面の両方を持ちながら発展してきました。
一服のお茶の中に、当時の人々の熱狂や、静寂を求める心を感じてみると、いつものお茶が少し違った味わいになるかもしれませんね。
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