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【日本茶のルーツ】鎌倉時代に起きた「お茶革命」!栄西と明恵が繋いだ絆

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【日本茶のルーツ】鎌倉時代に起きた「お茶革命」!栄西と明恵が繋いだ絆

【日本茶のルーツ】鎌倉時代に起きた「お茶革命」!栄西と明恵が繋いだ絆

2026/02/26

現代の私たちにとって身近な「抹茶」や、日本を代表する「宇治茶」。実はこれらの文化が大きく花開いたのは、鎌倉時代のことでした。

今回は、当時の資料から紐解く、日本茶の歴史を支えた二人の僧侶と、現代とは少し違う当時の喫茶法についてご紹介します。


1. 栄西がもたらした日本最古の茶書『喫茶養生記』

鎌倉時代初期の1191年、宋から帰国した栄西禅師は、日本のお茶文化に最も貢献した人物の一人です。

栄西は、宋で流行していた抹茶法を持ち帰り、京都や鎌倉にお茶を広めるきっかけを作りました。彼が71歳の時に完成させた**『喫茶養生記』**は、日本最古の茶書として知られています。

  • お茶は「くすり」だった? この本はもともと医学書として書かれました。お茶の効能だけでなく、同じくらいの分量で「桑」の効能についても記されており、当時は養生(健康維持)のための飲み物として捉えられていたことがわかります。

2. 鎌倉時代の喫茶スタイル:薬研(やげん)で砕く抹茶

当時の抹茶は、私たちが今イメージするようなキメ細かな粉末とは少し違っていたようです。

  • 主流になった「抹茶法」 それまでの「茶を煮出す方法」に代わり、上流階級では抹茶法が主流となりました。

  • 「薬研」の登場 「薬研(やげん)」と呼ばれる道具を使って茶葉を細かく砕き、沸かしたお湯に入れてかき混ぜて飲んでいました。現代の石臼で挽いた抹茶ほど細かくはなかったと考えられていますが、禅僧たちが修行中の眠気を抑え、精神を集中させるために重宝されました。

3. 宇治茶の始まりと「明恵上人」への贈り物

日本を代表する銘茶「宇治茶」の誕生にも、素敵なエピソードがあります。

栄西は、京都・栂尾(とがのお)にある高山寺の住職、明恵(みょうえ)上人にチャの種を贈りました。明恵が栂尾に植えたチャは成長し、後に「天下一の茶」と呼ばれる栂尾茶へと発展します。

さらに、明恵はその種を宇治の地(現在の宇治市五ケ庄付近)に撒いたと伝えられており、これが宇治茶の発祥とされています。宇治市にある黄檗山萬福寺の門前には、今もその功績を称える歌碑が立っています。

栂山の 尾上の茶の木 分け植えて 跡ぞ生ふべし 駒の足影(明恵) (駒=馬の足跡に茶の種を撒いたという伝承を詠んだ歌)


まとめ:文化の始祖としての栄西

近年の調査では、栄西が帰国する前から九州などにはお茶が伝わっていた形跡が見つかっています。しかし、その後の日本文化に与えた影響の大きさを考えれば、栄西が日本の抹茶法の始祖であるという評価は揺るぎないものです。

一服のお茶の背景にある、鎌倉時代の僧侶たちの情熱に想いを馳せてみてはいかがでしょうか。

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